冷静かつ戦略的に人生の ラフロードを駆ける
VOL.327 / 328
新井 大輝 あらい ひろき ARAI Hiroki
ラリードライバー
1993年8月2日生まれ、群馬県伊勢崎市出身。ラリードライバー。東京電機大学卒。トヨタGAZOO Racing育成ドライバーとしてフィンランドで経験を積み、スバルでの参戦を経て、2020年に全日本ラリー選手権史上最年少チャンピオンを獲得。現在はR2R×YAHAGI Racing Teamに所属し、国内外のラリーに挑戦を続けている。
HUMAN TALK Vol.327(エンケイニュース2026年3月号に掲載)
全日本ラリー選手権で史上最年少チャンピオンに輝いた新井大輝選手。著名なラリードライバーである父、新井敏弘氏の影響を受けながらも、独自の道を歩んできた彼の軌跡は、決して平坦なものではありませんでした。大学でエンジニアリングを学んでいた彼がなぜラリードライバーの道を選んだのか。そして、現在どのような思いでステアリングを握っているのか。新井選手の人生観、技術論、そして日本のラリー界への想いまで、お話を伺いました。
冷静かつ戦略的に人生の ラフロードを駆ける---[その1]
2016年 フィンランドでのラリーでアジア人初の表彰台に
サッカー少年が、ハンドルを 握るまで
正直に言うと、子どもの頃は、父が何をしている人なのかよく分かっていませんでした。ラリードライバーと言われても、タクシードライバーとの違いも分からないくらいで。だから、小学校から高校までは結構本気でサッカーに打ち込んでいましたね。
大学へ進学したときも、ドライバーになるつもりは全くありませんでした。物理や数学が好きだったので、将来はエンジニアとしてドライバーを支える側になりたいと思っていたんです。海外で仕事ができたらいいな、というくらいの漠然としたイメージでした。進学した東京電機大学では一番人気の自動車研究室に滑り込みで入り、専攻はサスペンション開発。サスペンションにセンサーを付けたり組んだりバラしたりの毎日でした。子供の頃から庭に転がっていた軽自動車を組んだりバラしたりして遊んでいたので、その経験が少しは役に立ったのかもしれません。車そのものよりも「なぜこの挙動になるのか」「どうすれば性能を引き出せるのか」を考えることが面白かった。この頃に培ったエンジニアリングの視点は、今のドライビングにも確実につながっています。
フィンランドで知った「世界基準」
免許を取ったのは19歳です。最初の半年ほどは、祖父の軽トラックに乗って、マニュアル車の感覚を体に覚えさせるところから始めました。その後、安く手に入ったインプレッサGC8に乗り、地元の群馬県戦に出場したのが、初めてのラリーでした。
元々エンジニアになりたいという思いはあったので、それを大学の教授に相談したら「自分で運転も理解していないと、エンジニアにはなれない」という言葉が、妙に胸に残ったんです。だから走ること自体が目的ではなく、理解するために走る。その意識が、この競技に向き合う最初のきっかけだった気がします。でも結果はリタイア。最初は抑えて走っていたんですけど、ベテランのコ・ドライバーさんから「抑えすぎてお前遅いよ」って言われたんです。そうしたら2本目のSSで排水溝に落ちまして。未だにコ・ドライバーさんのせいだと僕は思っています(笑)。
転機になったのが、トヨタGAZOO Racingの育成ドライバー選考でした。フィンランドで行う最終選考まで残れたのですが、大学生の身ですべて自費。フィンランド行きの航空券は17万円。今でも金額をはっきり覚えていますし、正直かなり厳しかったですね。ここで初めてくじけそうになりました。それでもフィンランドで走った経験は、自分の価値観を大きく変えました。スピードレンジも、道の見え方も、日本とはまるで違う。その中でアークティック・ラップランド・ラリーでアジア人初の表彰台に立てたことは、自信になったと同時に、「世界で戦う」という現実を実感した瞬間でもありました。少し調子に乗った部分も含めて、あの時間は間違いなく自分を成長させてくれたと思います。
2013年の全日本ラリー ARKラリー洞爺湖にて
挫折の先にあった、最年少戴冠
フィンランドでの活動を終えたあと、トヨタを離れることになり、現実的な壁にぶつかりました。同じレベルで走り続けるには、どうしても莫大な予算が必要になる。その現実を前にして、一度はラリーから身を引くことも本気で考えました。
そんな葛藤の後、やはり全日本ラリーで走ることを決意、自費でなんとか旧型のインプレッサを仕上げて出場し、勝ちまくったんです。そうしたらスバルからお声が掛かりまして、本当に異例だと思うんですが、シーズン途中から最新型をご提供いただけることとなりました。予算が限られた中で勝ち続けることは、プレッシャーでもありましたが、「壊さずに、でも速く走る」ことを突き詰める時間にもなりました。無理をすれば速くなるわけではない。その感覚を、身をもって理解できた時期だったと思います。
そして2020年、全日本ラリー選手権でチャンピオンを獲得しました。コロナ禍で全日本ラリーが全7戦から4戦くらいまでだいぶ削られたこともあったのですが、史上最年少という記録は記録としてひとつの結果として受け止めています。自分なりの走り方、自分なりの答えにたどり着けたシーズンだったのかなと。勝った瞬間よりも「ここまで続けてきてよかったな」と静かに思えたことを、今でもよく覚えています。(以下次号、エンケイニュース2026年4月号に掲載予定)
2015年のARKラリー洞爺では全日本ラリー初の親子1-2フィニッシュに輝く
